...その後に一年百ポンド(一千円)となった...
愛知敬一 「ファラデーの伝」
...その後は活(いか)すとも殺すとも...
泉鏡花 「活人形」
...彼はその後父親に託(ことづ)けて貝殻一包(つつみ)と見事な鳥の毛を何本か送って寄越した...
魯迅 井上紅梅訳 「故郷」
...その後行ったときにはその首は二つしかなかった...
海野十三 「最小人間の怪」
...その後、中野君も何とかしてやろうと思いながら忘れていたが、ちょうど硫化の鉱山を欲しいという人が出てきたので、市岡を思い出して問い合せると、案内するから見に来いといって来た...
大鹿卓 「金山※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]話」
...その局長がその後すぐさまに次官になるほどの人物とは知らなかつた...
高田保 「貸家を探す話」
...その後も種々頼まれたそうです...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...その後流布されることが少かつたらしく...
武田祐吉 「古事記」
...かの陳和卿はその後...
太宰治 「右大臣実朝」
...その後、才兵衛に意見をしようとする者も無く、才兵衛いよいよ増長して、讃岐一国を狭しとして阿波(あわ)の徳島、伊予(いよ)の松山、土佐の高知などの夜宮角力(よみやずもう)にも出かけて、情容赦も無く相手を突きとばし張り倒し、多くの怪我人を出して、角力は勝ちゃいいんだ、と憎々しげにせせら笑って悠然(ゆうぜん)と引き上げ、朝昼晩、牛馬羊の生肉を食って力をつけ、顔は鬼の如く赤く大きく、路傍で遊んでいる子はそれを見て、きゃっと叫んで病気になり、大人は三丁さきから風をくらって疾走し、丸亀屋の荒磯と言えば、讃岐はおろか四国全体、誰知らぬものとて無い有様となった...
太宰治 「新釈諸国噺」
...その後からお才や小僧たちが一団になって駆け集まると...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...その後リージェンツ・パークの縁を経巡った...
A. ブラックウッド A. Blackwood The Creative CAT 訳 「盗聴者」
...その後二世紀を経てバビロン捕囚の国民的悲運を経験した時代に...
矢内原忠雄 「帝大聖書研究会終講の辞」
...その後一地方限りで再び採録したものが...
柳田國男 「地名の研究」
...――にも関わらず、かの女は、その後で、どっと、せきあげる涙と淋しさとを、どうしようもなく、俯(う)ッ伏(ぷ)してしまった...
吉川英治 「大岡越前」
...まま、かれ自身が懺悔(ざんげ)するところの、かつての前科も、その前非をふかく悔いている真情が認められて――これはまた江戸以外の他領における問題でもあるせいか――おかまいなしということになり、勘太は、介三郎のあとを慕うて、その後、水戸に帰っていた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...召使もその後はいないが...
吉川英治 「宮本武蔵」
...そして、もっと彼女自身、分らなくなっていることは、武蔵の強い抱擁を交(か)わして逃げたくせに、その後の旅でも、こうして武蔵の姿を絶えず見失うまいとしながら、後に尾(つ)いて行く矛盾(むじゅん)であった...
吉川英治 「宮本武蔵」
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