...貫一はその後で、便所の戸を釘づけにし、そして悠々と吉祥天女像を荷造して背負って寺を立ち出たのであった...
海野十三 「奇賊悲願」
...その後宮には数百人の佳麗を養った...
大隈重信 「現代の婦人に告ぐ」
...悪魔は彼の最初の出資とその後の何回も引つづいての投資に対して最後まで複利をしぼりつづける...
ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 「森の生活――ウォールデン――」
...その後、労働に戻れ...
カレル・チャペック Karel Capek 大久保ゆう訳 「RUR――ロッサム世界ロボット製作所」
...そしてその後発達して今日のプロレタリア芸術論となった...
直木三十五 「大衆文芸作法」
...その後ろのお方は……」「あれは...
中里介山 「大菩薩峠」
...その後も二、三日おきに、団子とかいなりずしとかいう風のものを度々見舞に貰うのであったが、それが幼な心によほど嬉しかったとみえて、今でもおぼろげな記憶の片隅にそのような場面のいくつかが残っている...
中谷宇吉郎 「温泉1」
...その後影を見送りながら...
夏目漱石 「三四郎」
...その後(ご)東京へ帰ってから...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...その後ろ姿を見送る伝吉とお澪...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...その後半年ばかりして何のたよりもなくなり...
林芙美子 「秋果」
...その後時勢の急進とともに...
前田多門 「「人間宣言」のうちそと」
...その後任を選ぶことになり...
山本周五郎 「ちくしょう谷」
...その後家さんの鼻の表現が他人にうつるからであります...
夢野久作 「鼻の表現」
...秋三は胸を拡げてその後から追っ馳けた...
横光利一 「南北」
...その後、長男の袁譚(えんたん)は、甘陵(かんりょう)、安平、渤海(ぼっかい)、河間(かかん)(河北省)などの諸地方を荒らして、追々、兵力をあつめ、三男袁尚(えんしょう)が中山(ちゅうざん)(河北省・保定)にいたのを攻めて、これを奪った...
吉川英治 「三国志」
...さては、村重が手早く、お体を他所(よそ)へ移し去ったものかと、一時は悲嘆絶望のあまり、三名刺し交(ちが)えて死なんかとまでいたしましたが、その後、城内でもお行方をしきりに厳探中と聞え、さては、無事に他へお逃(のが)れあったか、さすればわれわれの苦心もむなしからず――と、実は御武運の幸(さち)を祝していたところでした...
吉川英治 「新書太閤記」
...……そんな話だな」「何げなく、まったく、何のふかい量見もなく、その途中、戯れに申した言葉を真実に取って、その後、治郎右衛門忠明が、出奔の後、自分を訪ねて参りましたので」「いや、もうよい...
吉川英治 「宮本武蔵」
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