...今までは五歩も十歩も讓つてゐたおれだが...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...堅くお讓りなさいました...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...決して他に讓るべきにあらず...
大町桂月 「國府臺」
...年よりの云うことを聞くものですよ」讓はもういらいらして来た...
田中貢太郎 「蟇の血」
...男らしくないことを云うものじゃありませんよ」讓は室(へや)の中へ引ぱり込まれた...
田中貢太郎 「蟇の血」
...讓はしかたなしに腰をかけながら...
田中貢太郎 「蟇の血」
...「奥様のお室(へや)へ縛るのですよ」年増はそう云い云いひどい力で讓を後(うしろ)へ引ぱった...
田中貢太郎 「蟇の血」
...鹽原の谷も多くこれに讓らない...
田山花袋 「日光」
...即ち孫詒讓の周禮正義には劉敞...
内藤湖南 「易疑」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...脇差と一緒に讓(ゆづ)つてくれ――一つて」「あの牙彫(けぼり)の――」「どうせ濱町河岸で拾つた品だから...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...廣い世界にうんとあるぜ」平次はなか/\讓(ゆづ)りさうもありません...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...善人と見極めの付いた方に家督(かとく)を讓るやうに』と書いてあつた」「念入りですね」「佐原屋甚五兵衞は...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...婿でも取つたら改めて白梅屋敷の跡目を讓ることにして...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...四三節)に讓るが...
波多野精一 「時と永遠」
...飽くまでも妥協せず讓歩せず徹頭徹尾實在性他者性に留まる點において...
波多野精一 「時と永遠」
...寧ろ關東の方から讓歩したものとする時は...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...さるをわれ一歩を立者に讓りて...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??
