...肥後守は侘助椿のほかにも...
薄田泣菫 「侘助椿」
...その寵臣(ちょうしん)林肥後守...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ...
中里介山 「大菩薩峠」
...銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...それは加藤肥後守清正である...
中里介山 「大菩薩峠」
...その後へは山形から保科肥後守正之が入部した...
長谷川伸 「討たせてやらぬ敵討」
...また(肥後守)自身聞き届け候儀も之(これ)有る可く候」(文久二年二月)と布告してもみた...
服部之総 「新撰組」
...松平肥後守の手文庫のなかには...
服部之総 「新撰組」
...警視総監としての肥後守をいっそう多忙ならせたではないか...
服部之総 「新撰組」
...守護職肥後守の管轄に属し...
服部之総 「新撰組」
...新撰組は肥後守の内命によって芹沢一派の清掃を決行し...
服部之総 「新撰組」
...一七三二年版チャーチルの『航記紀行集函(ア・コレクション・オヴ・ヴォエイジス・エンド・トラヴェルス)』巻一に収めたる元和寛永頃カンジズス輯録『日本強帝国摘記(サム・キュリアス・リマークス・オヴ・ジャパン)』にカットフィンゴノカミ(加藤肥後守...
南方熊楠 「十二支考」
...従四位下侍従(じじゅう)兼肥後守(ひごのかみ)にせられている...
森鴎外 「阿部一族」
...従四位下侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ...
森鴎外 「阿部一族」
...肥後守殿の御代と相成り候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...その後肥後守は御年三十一歳にて...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...千葉ノ介貞胤(さだたね)宇都宮公綱(きんつな)菊池肥後守武重大友左近将監塩冶(えんや)の判官高貞熱田ノ大宮司...
吉川英治 「私本太平記」
...――長船紀伊守、戸川肥後守、岡越前守、花房助兵衛の四老である...
吉川英治 「新書太閤記」
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