...彼は粗忽者で、大事な書類を何度も紛失してしまう...
...私の父は道路での運転が怖くて、粗忽者な運転手を見るとイライラする...
...組織的な仕事に向いていないので、彼は粗忽者として有名だ...
...学生時代は粗忽者だったが、社会人になってからは責任感が芽生えた...
...アルルカンは粗忽者の尻をいやといふほど蹴飛すと...
ルイ・ベルトラン Louis Bertrand 上田敏訳 「胡弓」
...引取人の乙吉が生れつきの粗忽者であることを知らなかったせいであると...
海野十三 「赤外線男」
...お数寄屋には他のお軸を掛けましたような次第で……」愚しい粗忽者をいくら叱ったところで...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...俺(わし)は何だつてこんなに粗忽者(そゝつかしや)なんだらう...
薄田泣菫 「茶話」
...将軍家はその折すこしく御酒気だつたのでございますが、宗政さまがお首をひつさげて御参着の事をちらと小耳にはさんで御眉をひそめられ、殺せとは誰の言ひつけ、畠山重忠は、このたびの和田左衛門尉とひとしく、もともと罪なくして誅せられたる幕府の忠臣、その末子がいささか恨みを含んで陰謀をたくらんだとて、何事か有らんや、よつて先づ其身を生虜らしめ、重慶より親しく事情を聴取いたし、しかるのちに沙汰あるべきを、いきなり殺して首をひつさげて帰るとは、なんたる粗忽者、神仏も怒り給はん、出仕をさしとめるやう、と案外の御気色で仲兼さまに仰せつけに相成り、仲兼さまはそのお叱りのお言葉をそのまま宗政さまにお伝へ申しましたところが、宗政さまは、きりりと眦を決し、おそれながら、たはけたお言葉、かの法師を生虜り召連れまゐるは最も易き事なりしかど、すでに叛逆の証拠歴然、もしこの者を生虜つて鎌倉に連れ帰らば、もろもろの女房、比丘尼なんど高尚の憂ひ顔にて御宥免を願ひ出づるは必定、将軍家に於いても、ただちにれいの御慈悲とやらのお心を用ゐてかかる女性の出しやばりの歎願を御聴許なさるは、もはや疑ひも無きところ、かくては謀逆もさしたる重き犯罪にあらず、ひいては幕府の前途も危ふからんかと推量仕つて、かくの如くその場を去らしめず天誅を加へてまゐりましたのに、お叱りとは、なあんだ、こんなふうでは今後、身命を捨て忠節を尽す者が幕府にひとりもゐなくなります、ばかばかしいにも程がある、そもそも当将軍家は、故右大将家の質素を旨とし武備を重んじ、勇士を愛し給ひし御気風には似もやらず、やれお花見、やれお月見、女房どもにとりまかれ、あさはかのお世辞に酔ひしれて和歌が大の御自慢とはまた笑止の沙汰、没収の地は勲功の族に当てられず、多く以て美人に賜はる、たとへば、榛谷四郎重朝の遺跡を五条の局にたまはり、中山四郎重政の跡を以て、下総の局にたまはるとは、恥づかし、恥づかし、いまにみるみる武芸は廃れ、異形の風流武者のみ氾濫し、真の勇士は全く影をひそめる事必至なり、御気色を蒙り、出仕をさしとめられて、かへつて心がせいせい致しました、と日頃の鬱憤をここぞと口汚く吐きちらし、肩をゆすつて御退出なさいましたさうで、お部屋が離れてゐるとはいへ、たいへんな蛮声でございましたから、将軍家のお耳元にも響かぬ筈はなく、お傍の私たちはひとしく座にゐたたまらぬ思ひではらはら致して居りましたが、さすがに将軍家の御度量は非凡でございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...――筆者――粗忽者の涙五月×日世界は星と人とより成る...
林芙美子 「放浪記(初出)」
...この瓢軽な粗忽者を...
林芙美子 「放浪記(初出)」
...自分を生かす方法も知らない愚かな粗忽者と...
バルザック Honore de Balzac 中島英之訳 「ゴリオ爺さん」
...心ならずも孝助は立ち退いていって粗忽者(そこつもの)の養父相川新五兵衛に逐一を物語る...
正岡容 「我が圓朝研究」
...ここでも依然粗忽者の性格は言葉のはしばしに遺憾なく...
正岡容 「我が圓朝研究」
...何という粗忽者(そこつもの)であろう...
松本泰 「日蔭の街」
...実は性来粗忽者のわたくしが...
森律子 「三度會つた巡査」
...「あいつを甘い粗忽者だと思ったのはたいへんな間違いだった」金吾一派はこう云っていた...
山本周五郎 「思い違い物語」
...そして」「粗忽者(そこつもの)めが...
吉川英治 「大岡越前」
...のう劉皇叔(りゅうこうしゅく)」玄徳も、共に、「いや、ふたりとも、粗忽者(そこつもの)ですから」笑いにまぎらすと、「どうして、粗忽者どころか、雷怯子(らいきょうし)の義弟としては出来すぎている程だ」と、曹操は眸(ひとみ)もはなたず二人を見ていたが、やがて、「せっかく参ったものだ...
吉川英治 「三国志」
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