...明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ...
太宰治 「津軽」
...明応三年五月の地震は大和が最も強く...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...その明応には九年六月にも甲斐の大地震があった...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...実隆の家は明応九年六月下旬の火災に類焼したのであるから...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年の日記にしばしば見える...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年に片山五郎左衛門...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...土岐の明応五年の没落を報じて来たのもまたこの男である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...年貢としては明応五年に飯米三俵の収入があったほかに何もわからぬ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応七年五月の春成公用は二千疋とあるが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...その後明応七年二月にもまた春日社参をやったが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...かかる間に実隆は明応の二年に従二位に叙せられ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...のみならず舅教秀の歿した明応五年の九月と十月と...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年に宗聞法師から頼まれた時には...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍(もぐら)を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろには総じて『源氏物語』の流行も縉紳間に衰えたので...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応文亀というと...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...明応二年から慶長五年までの約百年であった...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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