...下学集より五十三年の后(のち)明応(めいおう)五年林宗二(堺の町人)節用集(せつようしふ)を作り...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ...
太宰治 「津軽」
...その明応には九年六月にも甲斐の大地震があった...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...明応七年に地借りをして...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年には実隆も堪忍しかねたらしく...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろに中村宮千世丸という名前が同五年三月の日記に見えておる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年の日記にしばしば見える...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年ごろ玉泉という者をもってこれに任じたことがあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...ところが明応元年になって宗祇の取次で千疋を送ってよこしたので...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...土岐の明応五年の没落を報じて来たのもまたこの男である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応七年五月の春成公用は二千疋とあるが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍(もぐら)を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応六年といえば彼の遯世(とんせい)に先だつこと二十年である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆は延徳、明応の交、年貢未進で三条西家を困らした越前田野村からの取立てをそのころ北国通いをした宗祇を経て、朝倉家に依頼し、若干の収納を得たことがある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応の末年には、宗祇の摂津行きの次をもって、魚市の件に関する伊丹兵庫助との交渉をやらしたこともある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...(中略)明応四年乙卯(いつぼう)八月 日沙弥 奉正任左衛門尉 同武明五六 経済学経済学は...
穂積陳重 「法窓夜話」
...鬼子の最も怖ろしい例としては、明応七年の昔、京の東山の獅子(しし)が谷(たに)という村の話が、『奇異雑談集(きいぞうだんしゅう)』の中に詳しく報ぜられている...
柳田国男 「山の人生」
...やっと明応の六年ころ...
吉川英治 「宮本武蔵」
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