例文・使い方一覧でみる「明応」の意味


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...下学集より五十三年の后(のち)明応(めいおう)五年林宗二(堺の町人)節用集(せつようしふ)を作り...   下学集より五十三年の后明応五年林宗二節用集を作りの読み方
京山人百樹刪定 「北越雪譜」

...明応七年に地借りをして...   明応七年に地借りをしての読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...明応五年に広岡入道道円という者をその代官職に補したところが...   明応五年に広岡入道道円という者をその代官職に補したところがの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...しかるに明応五年美濃の喜田城陥落し...   しかるに明応五年美濃の喜田城陥落しの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているが...   明応五年正月からして阪本に苧課役を月俸にして沙汰をすることにしたと日記に見えているがの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...ところが明応七年十二月の十七日に...   ところが明応七年十二月の十七日にの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...かかる間に実隆は明応の二年に従二位に叙せられ...   かかる間に実隆は明応の二年に従二位に叙せられの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...翌々明応七年十五歳の時である...   翌々明応七年十五歳の時であるの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...明応ごろには総じて『源氏物語』の流行も縉紳間に衰えたので...   明応ごろには総じて『源氏物語』の流行も縉紳間に衰えたのでの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...明応四年修撰に関して兼載との葛藤のあった際に...   明応四年修撰に関して兼載との葛藤のあった際にの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...明応七年十一月には禁裏からして三荷二合の酒肴を宗祇法師に下さるることになった...   明応七年十一月には禁裏からして三荷二合の酒肴を宗祇法師に下さるることになったの読み方
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」

...また明応四年八月の「大内家壁書」の中に用いられているものであるが...   また明応四年八月の「大内家壁書」の中に用いられているものであるがの読み方
穂積陳重 「法窓夜話」

...明応は僅(わずか)に昨日と過ぎて...   明応は僅に昨日と過ぎての読み方
正岡子規 「古池の句の弁」

...明応七年兵燹(へいせん)にかかりて枯しを社僧祠官等歌よみて奉りたれば再び栄生せりといへり...   明応七年兵燹にかかりて枯しを社僧祠官等歌よみて奉りたれば再び栄生せりといへりの読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...あの明応の動乱が平定して後に...   あの明応の動乱が平定して後にの読み方
柳田国男 「海上の道」

...足利将軍の十代義植(よしたね)の明応何年かに...   足利将軍の十代義植の明応何年かにの読み方
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」

...明応文亀年間、平田将監という者があって、剣及び十手術に長じ、美作吉野郡の竹山城城主新免氏に仕えたのが中興の人となっている...   明応文亀年間、平田将監という者があって、剣及び十手術に長じ、美作吉野郡の竹山城城主新免氏に仕えたのが中興の人となっているの読み方
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」

...やがて明応四年(一四九五)には小田原城を...   やがて明応四年には小田原城をの読み方
和辻哲郎 「埋もれた日本」

「明応」の読みかた

「明応」の書き方・書き順

いろんなフォントで「明応」


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