...政治家は嫌ひぢや...
内田魯庵 「貧書生」
...〔政治は国民の反響なり〕術には天才もあるが...
大隈重信 「政治趣味の涵養」
...それから小出氏は又村會議員などといふ方面にも政治的の交渉を持つてゐるらしく...
高濱虚子 「横山」
...政治らしい政治は殆(ほとん)どなかったといってよい...
津田左右吉 「建国の事情と万世一系の思想」
...「満州事変の際には目黒区に居住の有力な某政治浪人(特に名を秘す)の早耳により約十万円を儲けて同人に献金した事実があり」と読売新聞(九月二十八日付)が書いているのは多分無根の事実だろうが...
戸坂潤 「社会時評」
...維新の元勲諸公は総て立憲政治の必要を認めて居つたのである...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...現今の政党は、其腐敗に於て五十歩百歩の差はあれども、其腐敗は則ち一なり帝国党は自ら既成政党の腐敗に襲はれずと揚言したれども、其実、帝国党は最も腐敗の黴菌多かりし国民協会の変形のみ其腐敗したるや固より久しと謂ふ可しされば政党は総べて腐敗す可きものなりや、若し然りとすれば、一切の政党を非認して党派の外に超然たるも亦已むを得ずと雖も、凡そ政党の腐敗は政党自身の罪に非ずして時代の罪なり則ち政党を非認せむとせば、先づ時代を非認せざる可からず、而も唯だ時代を非認するのみにて別に経綸の策を講ぜざるものは、是れ哲学者にして政治家に非ざるを如何せむ...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...政治上社會上其の進歩が徐々に完成して行つたのである...
内藤湖南 「日本文化とは何ぞや(其一)」
...昔、伊達政宗が、支倉(はせくら)六右衛門をローマへ使者として遣(つか)わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣(や)った時の船が、ここから出たのですか」「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧(むし)ろここを我々の投錨地(とうびょうち)――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」「どう案外でした」「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」「どうしてそれがわかります」「あの時は――政宗が拵(こしら)えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」「なるほど」「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法国(くに)を迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹(きりしたん)を信じていたのですな...
中里介山 「大菩薩峠」
...政令は朝に夕に改められた...
蜷川新 「天皇」
...何しろ最後の王朝時代に政府が思ひ切つた苛斂誅求をして全國に完全な道路網を張つたといふのだから...
野上豐一郎 「聖ロヨラ」
...徳川時代にはそれが政治的にまで利用されて...
野村胡堂 「奇談クラブ〔戦後版〕」
...1)Mmoires du Royaume de Sude, ch. vi. p. 202.2)Id. p. 204.3)Id. ch. vi.もし政府が...
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus 吉田秀夫訳 「人口論」
...地方的利害と政治的関係とが...
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus 吉田秀夫訳 「人口論」
...婦人参政の先輩諸国の経験が示された...
宮本百合子 「一票の教訓」
...それから政治機構の發足も...
吉川英治 「折々の記」
...「悪吏の虐政に苦しむ人民の傷(いた)みはこんなものじゃないぞ...
吉川英治 「三国志」
...政子の支度が終ったなら...
吉川英治 「源頼朝」
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