...中国の歴史書『三史』は、『史記』・『漢書』・『後漢書』の総称である...
...章懷太子の後漢書の注などがあり...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...後漢書、三國志、晉書、北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...一、本文の撰擇二、本文の記事に關する我邦最舊の見解三、舊説に對する異論四、本文の考證五、結論一、本文の撰擇卑彌呼の記事を載せたる支那史書の中、晉書、北史の如きは、固より後漢書、三國志に據りたること疑なければ、此は論を費すことを須ひざれども、後漢書と三國志との間に存する異の點に關しては、史家の疑惑を惹く者なくばあらず...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...後漢書が其造語の嚴整を主として...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...後漢書が他書によりて之を正したりと思へる者ありき...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...後漢書が魏略の文を割裂し...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...三國志には漏れて後漢書にのみ存せり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...こは裴松之が三國志を注せる時、其の剪り去りし魏略の文を補綴して、再び舊觀に還せるによりて證明せられたれば、後漢書の此條は、三國志には據らざりけんも、魏略に據りたるは疑ふべからざるが如し...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...汲古閣の十七史は、世に善本と稱せらるゝ者なるも、余が知れる所にては三國志、後漢書等は、頗る劣れるが如く、三國志は往々乾隆殿板よりも劣り、後漢書は夐かに元大徳本に淵源せしと見ゆる寛永活版本より惡し...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...(善隣國寶記に此疑あることは鶴峰戊申の襲國僞僭考にも摘出せり)然るに元禄年間、松下見林が其の名著、異稱日本傳を作りし時は、後漢書、三國志の所謂卑彌呼を全く神功皇后の舊説のまゝに信じて、少しも疑ふ所なき者の如くなりき...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...本居氏も後漢書によりて...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...後漢書には前にも引ける如く...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...又日本の大學の教科目は如何と云ふに、明經道、紀傳道、明法道、算道、書道、音道等であつて明經道では九經(三經、三傳、三禮即ち詩經、書經、易經、公羊傳、穀梁傳、左氏傳、周禮、儀禮、禮記)を研究し、紀傳道では史記、漢書、後漢書を研究し、この方は史學であると共に文學であつた...
内藤湖南 「平安朝時代の漢文學」
...歴史は史記を始め前後漢書(ぜんごかんしょ)...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...〈牛馬なし〉と書いた『後漢書』は...
南方熊楠 「十二支考」
...同じ『後漢書』東夷列伝に...
南方熊楠 「十二支考」
...後漢書の楊修伝に出たと云ふ...
柳宗悦 「和紙の教へ」
...契冲(けいちゅう)は竹から童子の生まれる話が『大宝広博楼閣経』と『後漢書(ごかんじょ)西南夷伝』とに存するのを指摘して...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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