...延元元年から元中九年までが五十七年...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...萬延元年増永文治發行の「蕃語小引」等は民間活字版の系統に屬する」ものださうであるが...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...「印刷文明史第四卷」は萬延元年か文久一...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...万延元年(この小説の時代より五六年前)幕府が...
中里介山 「大菩薩峠」
...徳川九代家重の寛延元年七月廿七日の禁令には(百八十八年前)おつて供り徒士の者...
長谷川時雨 「凡愚姐御考」
...其規模の大小迚も此延元の時に比すべくもない...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...真白くて五月桜の寂しきを延元陵に云へる僧かな昭和三年の晩春吉野に遊び後醍醐帝の延元陵に参られた時如意輪堂の僧でもあらうか...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...同書は万延元年の出版で...
穂積陳重 「法窓夜話」
...いわく、(延元元年正月、官軍三井寺(みいでら)攻めに)前々(せんぜん)炎上の時は、寺門の衆徒、これを一大事にして隠しける九乳(きゆうにゆう)の鳧鐘(ふしよう)も、取る人なければ、空しく焼けて地に落ちたり、この鐘と申すは、昔竜宮城より伝はりたる鐘なり、その故は承平の頃俵藤太秀郷(ひでさと)といふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多(せた)の橋を渡りけるに、長(たけ)二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、双(なら)べる角(つの)の尖(するど)にして、冬枯れの森の梢(こずえ)に異ならず、鉄(くろがね)の牙上下に生(お)ひ差(ちご)ふて、紅の舌炎(ほのお)を吐くかと怪しまる、もし尋常(よのつね)の人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、彼(かの)大蛇の背(せなか)の上を、荒らかに踏みて、閑(しずか)に上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、遥(はる)かに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然(こつぜん)として秀郷が前に来(きたつ)ていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今御辺(ごへん)ほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来(としごろ)地を争ふ敵あつて、動(やや)もすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺、我敵を討つてたび候へと懇(ねんごろ)に語(かたら)ひけれ、秀郷一義もいはず、子細あるまじと領状して、すなはちこの男を前(さき)に立て、また勢多の方へぞ帰りける、二人共に湖水の波を分けて水中に入る事五十余町あつて、一の楼門あり、開いて内へ入るに、瑠璃(るり)の沙(いさご)厚く、玉の甃(いしだたみ)暖かにして、落花自ずから繽紛(ひんぷん)たり、朱楼紫殿玉の欄干金(こがね)を鐺(こじり)にし銀(しろがね)を柱とせり、その壮観奇麗いまだかつて目にも見ず、耳にも聞かざりしところなり...
南方熊楠 「十二支考」
...其祖母は萬延元年の出生...
南方熊楠 「蓮の花開く音を聽く事」
...寛延元年の生で、此年五十七歳、蘭軒は二十八歳であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万延元年幕府に召され...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...万延元年紀州藩に仕へた時は...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...延元(えんげん)と改められ...
吉川英治 「私本太平記」
...延元(えんげん)とするとなったのである...
吉川英治 「私本太平記」
...この延元元年の二月二十九日は...
吉川英治 「私本太平記」
...これを延元(えんげん)二年の...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...延元(えんげん)の役(えき)に...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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