...南側には紫宸殿(ししんでん)の後ろ側の板戸がありました...
石原純 「アインシュタイン教授をわが国に迎えて」
...そして修道院長の許可状と国王の宸翰との全体は会計院と議政府とにおいて一六五四年に認可された...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...當時の朝廷における過激な議論に對して非常に宸襟を惱ませられて...
内藤湖南 「維新史の資料に就て」
...即ち『歴代帝王宸影』...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...帝居ヲ号シテ楓宸ト為ス」と叙してある...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...紫宸殿の大黒柱に供物を祭り...
南方熊楠 「十二支考」
...青雲路向紫宸遙...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...深く宸怒被為在(しんどあらせられ)候...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...何をそのようにご宸念(しんねん)を傷めておいで遊ばしますか」「朕(ちん)の行く末は案じぬが...
吉川英治 「三国志」
...帝のご宸襟(しんきん)を安んじてご期待にこたえることができようか...
吉川英治 「三国志」
...どうかもう宸襟(しんきん)を安んじていただきたい...
吉川英治 「三国志」
...――日ごろ、紫宸(ししん)、清涼(せいりょう)、弘徽殿(こきでん)などになぞらえられていた所の一切の御物(ぎょぶつ)――また昼の御座(ぎょざ)の“日の簡(ふだ)”、おん仏間の五大尊の御像(みぞう)、后町(きさきまち)のきらびやかな御簾(みす)ごとの調度なども――すべてそのままお立退きのほかなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...いたく宸襟(しんきん)をなやませ給うた...
吉川英治 「新・水滸伝」
...学問の比較的盛んであった南北朝の宮中にもし宸翰本のごとき『枕草紙』が伝わっていたとすれば...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...しかるに伝宸翰本においては...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...一応は伝宸翰本のごとき「同種の描写をまとめて記す」という構造に引きなおしてみることも必要だと思う...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...伝宸翰本のごとく四季の風物の描写の中に取り入れられると...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...宸翰本等におけるそれよりもはるかに興趣に富むことを指摘せられたが...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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