...何一つできないぐうたらべえだったんだ...
江戸川乱歩 「影男」
...「ごめんなさい」おのぶは徳利を膳の上へ置き、あいている徳利を盆のほうへ移して、坐りながら云った、「あたしこのごろ、少し酔うと泣き上戸(じょうご)になるようなの、としだわね」「としだって、幾つになるんだ」「もうおばあさん、二十一よ」「それでばあさんか、いい気なもんだな」そう云いながら手酌で一つ飲み、おのぶにも酌をしてやって、栄二は静かに口ぶりを変えた、「――いちど云っておこうと思ったんだが、さぶのやつがおめえを好きだってこと、知ってるだろうな」「ええ知ってます」おのぶはまじめに頷いてから、感情のない笑いかたをした、「誰かが誰かを好き、こっちの誰かはほかの誰かが好き、――まるで虫拳(むしけん)みたいだわ」「冗談にしないで聞けよ」「冗談にしなければ角(かど)が立つのよ、栄さんだから云うけれど、あたしさぶちゃんはどうしても好きになれない、お客としてならよろこんでお相手をするわ、でも好きか嫌いかという段になれば、だめ、済みません堪忍してちょうだい」「いいやつなんだがな、まじめに、本気でおのぶに惚(ほ)れているんだが」「それにね、栄さん」おのぶは眼を伏せ、声を低くした、「あたしにはたいへんな親きょうだいがあって、人のお嫁にはなれない躯なのよ」「いつか家出をしたい、なんて云ってたっけな」「親が甲斐性(かいしょう)なしで、子だくさんで、それも男のきょうだいはみな、ぐうたらべえ、姉さんとあたしと、下にいま十七になる妹があるんだけれど、この女きょうだい三人だけが苦労してきたし、これからも一生苦労しなければならないんです」「姉さんはなんで死んだんだ」おのぶはちょっと黙ってから、やはり眼を伏せたなりで云った、「心中なんです」「しん――なんだって」「好きな人と心中したんです...
山本周五郎 「さぶ」
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